七割打者のティーバッティング

地方在住地方公務員の身辺雑記

人事異動は死のシミュレーション

僕は、今年の4月に今のホワイト職場に転勤した。それまでは出先に数年間出向していた。
そこはほとんどブラックだと言ってよかった。本当に、冗談みたいにいろいろなことが起こる職場で、しかも恐ろしく慌ただしく忙しかった。1年のうち360日ぐらい出勤していた気がする。

そこで僕は総務・人事・給与ラインのミドルマネージャーをしており、人事に関する業務を直接担当した。異動の初案を僕がつくる関係上、自分自身を転勤させることはご法度だったが、年末、上の方で早々に僕の異動が決められ、他の同僚達より2ヶ月以上早く、自分がいなくなることを知った。
自分の転勤を知った日から、僕はひそかに出ていく準備を始めた。担当業務の性質上、自分のラインは年度始めが1年で最も忙しい。采配を振るうべき自分を抜きに、その時期を乗り切るための仕込みが必要だったからでもある。

自分がいなくなった後のことをせっせと準備しながら、ある日、ふと思った。まるで死期を悟ってからの終活だと。
異動してから実感したが、この世を職場と思えば、死と人事異動は似ている。自分が去っても何の支障もない点と、自分が為したこと自体が忘れ去られる点で。
例えば春の異動であれば、何だかんだ言いながらも、夏ぐらいには新メンバーでどうにか回り始める。もちろん、そこに自分はいない。異動した最初のうちは、後任者や元部下達からあれこれと質問攻めにあっていたが、だんだんと質問の回数が減ってきた。
そうなることを目指してせっせと終活したとはいえ、自分のいない組織が円滑に回り始めたのを知ると、否応なく、もう自分の出番はないのだという、ひとつの区切りを感じさせられた。

そして、自分が残してきたものも、いずれ忘れ去られる。僕の場合は、まだ1年も経っていないのでもう少し先の話だと思うが、いずれそうなることは決まっている。今の上層部を見ていたらわかる。あの人はかつてどこそこの部署にいた、という事実は情報として語り継がれても、そこで何をしていたかは誰も言わない。誰もよく知らないからだ。
組織で仕事をしていると、個人が突出して歴史に残ることなどめったにない。悪い意味ではあり得ても、良い意味では稀だ。大きな変革をなし遂げ、組織の歴史に残るかに思われた人でさえ、異なる世界観を持つ後任者達が元に戻したりまた違う形に変えたりして、業績をもって歴史に名を刻むことは容易でない。

なんとなくそんな感傷がある中で、僕は自分の死後を想像している。自分がいなくなった後の世界も、こんなふうに回っていくのだろう。自分が卒業する以外、変更点は何もない。誤差ですらない軽微な変化だ。まさに何事もなかったように、自分のいた世界は淡々と続いていく。
去る側としては寂しくもあるが、一方でそんな世界の安定感に安心もしている。実際にこの世を去るときも、こんな心境でいられればよいが。
人事異動も死も、連綿と続く何かの、ある段階でのごく小さな礎となって去るだけ。この世に生きる全員、いつか忘れ去られるつなぎ役。そんなもんと鼻で笑うよりは、誰しもその役割を帯びてこの世に登板しているのだと表現しておきたい。

と、今さら元職場からの問い合わせを受けるとロクな内容ではないので、悪いけど僕は死んだと思って何も訊かないでほしいと思う。

「うだつが上がらない」の有効性について

ある朝の通勤風景。
その日は、夜6時以降雨が降るという予報だったので、僕は傘を持って家を出た。自宅から職場は2km弱なので、いつも徒歩で通勤している。

職場は、某県の県庁所在地中心部にある。職場に近づくにつれ、歩道は大勢の勤め人や学生で溢れかえる。
僕はそこでふと気づいた。
誰も傘を持っていない。
どういうことだろう。僕が早朝に確認した予報は古かったのか。皆は僕の知らない何かを知っているように見える。

38歳にもなって大通りで1人だけ傘を握っている恥ずかしさと孤独感を感じながら、職場へと到る最後の交差点に来た。
いる。
横断歩道の向こうに、傘を持っているサラリーマンが2人いた。その交差点で数十人は信号待ちをしていたが、そのうち傘を持っているのは僕を入れて3人である。状況はほとんど変わらないわけだが、この邂逅に僕は大いに安堵し、また励まされた。

道路上でこのような圧倒的マイノリティに属すると知ってか知らずか、ただ自分の得た情報に断固従い、傘を握りしめ我が道をここまで歩んできたこの人達は、どういう背景をもつ猛者であるか、僕は興味を持って2人をまじまじと見た。


話は変わるが、サラリーマン社会における「できる/できない」の判定は、実際の仕事を見なくてもそれなりに可能であると考えている。
一般的な採用選考も、だいたいは応募者の仕事ぶりを見ることなく行われているし、例えば直接一緒に仕事をしたことがない他部署の人について、できそう/できなさそうの判定を無意識に行っている人も多いだろう。
「できない」は概ね、身だしなみ、歩き姿、話し方に特徴がある。共通点を表すのにちょうどいい言葉は「しまらない」だろうか。こう分類されたからといって、必ずしも能力が劣るわけではないのだが、この手の人は高い確率で要領が悪く、それゆえ仕事の上でのパフォーマンスが周囲より低い傾向があることは事実だ。サラリーマン組織では、要領のよさと評価の高さはある程度比例する。かなり上の方まで行くと、器用なだけのタイプは通じなくなるだろうけれど。

さて、僕がまじまじ見た猛者2人は、どうみても「できない」方だった。服装といい、立っている姿勢といい、表情といい、すべてがしまらない。話してみても、おそらく感想は変わらないだろう。いわゆる、うだつが上がらないサラリーマンである。
僕は、できないリーマン3人が、この交差点で傘を持っているわけか、と1人ニヤリとしながら彼らとすれ違った。

そして一瞬の間に彼らの日々を勝手に想像し、勝手に思った――彼らは、周囲が持っていなくても構わず傘を持っている今のように、組織からの評価など求めず、我が道をゆく。大きな仕事がしたいとも思っていない。責任ある立場に就かず、いや、就こうともせず、それゆえ誰かの相談を受けて判断することも決断することもない。ただ自分の事務処理が終わればいい。そうやってあと数年、逃げ切れれば勝ちだ――

どちらかと言うと、僕は仕事に積極的なほうではあるものの、組織内の優秀層がもつ忠実さや愚直さが欠けており、安易に突っ込んでいってヒヤリハットを招くタイプだ。
火傷する危険がつきまとう自分からしたら、彼らのスタンスはよほど理にかなっている。安全で、家族を含め誰も傷つかない。誰に何と言われようと、仕事で自身をすり減らすことなく同じ給与をもらって逃げ切れれば、それはある価値観から見ればひとつの勝ちだろう。
まあ、実際にそういう人達かどうかは全く知らないのだが。

なお、夜帰るときにはちゃんと雨が降っており、僕達は情報に疎いわけではなかった。おそらく、要領が悪くて置き傘してない3人だったわけだ。

「趣味は街歩き」と人に言いたいが、自分のは性癖レベルだから言えない

僕の趣味は街歩きです。都市の中心部メインで、特に大都市を歩くのが好きです。大都市はビル街が迫力あるし、小さい都市はすぐ街の端っこに出ちゃうから。旅行に行ったら、つい色々歩いちゃいますね。

と誰かに言われたとしたら、僕は、ほ~感じのいい趣味だねと思う。少なくとも、変わっているとは感じない。
実は、これは僕自身の趣味なのだが、僕は誰かに言ったことがない。言えないと思っている。

冒頭のように言うと、相手が話を切らない場合「例えば?」と返される。例えばどこの街をどういうふうに歩くのか、実例を挙げることになる。
「例えば夏に東京行ったときなんか、丸の内やら銀座やらそこら中歩きましたよ。さすが東京、気がつけば10kmぐらい平気で歩いてますね。」
という回答例があるとする。これは、まあ普通の範囲内だろう。それに対して僕の現実の回答はこうなる。
「例えば夏、歩くために東京に行って、山手線内は全部徒歩で移動しました。いや渋谷から鶯谷は遠かった。朝8時から、食事以外はずっと歩いてましたが、夜10時頃、ホテルまでのラスト5kmで脚の付け根が猛烈に痛くなって、最後は引きずってました。ズタボロで帰ってきたから、ホテルのフロントはドン引きでしたね。」

言えない。
距離にして何十kmかはわからないが、歩くために行った旅先で歩きすぎて歩けなくなるというのは普通じゃないと自分で思う。
1日中歩くのはどこへ行っても同じで、日本の大都市はもとより、ローマや台北やサンフランシスコでもやった。街の不良に絡まれたり、屈強なオッサンからyou可愛いねと声をかけられたりする点で国内とは違ったが。

東京は歩く人にとっても特に魅力的な街だ。スケール大きく、面白い風景がどこまでも続いている。いくら先まで歩いても受け止めてくれる。
高校生の頃から僕は東京に行くと半蔵門周辺に宿をとり、そこからどこにでも歩いていく。若者の街は若者の頃から苦手で、必ず行くのは新宿と上野だ。昭和の面影を残す猥雑さに心惹かれる。

大阪もよく歩く。当然、環状線内は徒歩圏内である。東京の新宿上野と同じ理由で、必ず行くのは京橋だ。繁華街としては小さく、表向き、特になにがあるというわけではないが、ついつい足が向かってしまう。難波・日本橋天王寺も、怖いけど嫌いではなく、なんとなく梅田に負けないよう応援している。
東京や大阪のように複数の繁華街がある都市を歩くときは、その繁華街間の何でもない道を好む。できるだけ幹線道路は通らず、抜けているのかわからないような細道を選んで歩いている。そこにある珍しいお店や会社を見て、へえっと思う。

また、僕は名古屋が好きだ。名城公園から熱田神宮名古屋駅から名古屋大学の範囲は徒歩圏内にしている。
少しサイズダウンするが、広島を歩くのも大好きだ。フリーの日にふと広島を歩きたくなり、新幹線に乗ったことが数回ある。

どこに行ってもお土産も買わず、地のものも食べない。どんな有名スポットにも寄らず、何の体験もしない。ただ歩くために交通費を払って遠征している。行った先では故障するまで歩く。
さすがにこれは誰かに言っても共感が得られそうにない。
一体何がしたいのか?と自分に問いかけてみて、最近わかったことがある。

僕は歩きながら、「もしもここで暮らしていたら」というシミュレーションをしている。可能性の分岐を想像するのが楽しい。
頻繁に行っていると、中心部の道という道をすべて歩くからというだけでなく、その過程で道々の店や会社やマンションにいる自分を繰り返し想像することによって、住んだことがある気さえしてくる。

それなら、地元の路線バスに乗るのも良さそうではあるのだが、大都市は路線が複雑だし、中小都市は本数が少ないしで、どうもつい歩いてしまう。


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